あれは、私が小学校5年生だったか。
夏休みだったのだろう、陽炎が揺れている。
エースだった私はその日も小学校のグランドで行われていた練習試合のマウンドに立っていた。
勝っていたのか負けていたのか覚えていないが、連続で四球を与えた時だった。
「田中!もっと思いっきり投げんかいっ!」
バックネットの後ろからおっさんの声が響く。
「また来てるで・・・」
マウンドの私はつぶやく。

そう、また来てるのだ。
このおっさんは、6年生のようすけ君のおやじさん。
酒屋をやっているこのおっさんは、配達の途中で自転車に乗って必ずグランドに現れる。
五分刈りなのかなんなのか分からないが丸坊主の頭から無精ひげのようにうっすらと伸びた白髪交じりの髪の毛、そしていつも赤ら顔。その上に大きなだみ声だから、おそらく昼間っから自分の店のお酒を飲んでるんだろうと勝手に思っていた。
私はこのおっさんが大嫌いだった。
なんでいっつも俺ばっかり文句言われなあんのや・・・と思っていた。
バックネットのファースト寄り、マウンドの私からすれば左斜め前方からいつも私にだけヤジを飛ばしてくる。
5年生ではあったが、4番でエースだった私に文句を言うのは、このおっさんただ一人だけだった。
何度となく同じようなヤジを飛ばされたが、それに慣れるということはなく、はっきり言ってうんざりしていた。
今ではほとんどなくなったが、この時代は相手チームの選手をヤジることは普通に行われていたし審判や監督がとがめることもなかった。
まぁ、そういう時代なのだ。
「ピッチャーノーコン!」「バッター立ってるだけ!」などは当たり前。しかし、それで動じるということも少なかった。
ただ、味方からヤジられるというのはほとんどない。
それも赤ら顔の酔っ払いみたいなおっさんにヤジられるなど考えられない。
試合は続いている。
次のバッターに初球を投じた。
ストライク。
「せやからもっと思いっきり投げんかいっ!」
「・・・・・!」
このおっさんのひと言で私の怒りが爆発してしまった。
要するに「切れた」のだ。
ストライクやのになんで文句言われなあかんねん!と心で叫ぶ。
試合は止まらない。
しかし、怒りはおさまらない。むしろどんどん増してくる。
二球目、ふつふつと怒りが込み上げると同時に得体のしれない力がみなぎる。
セットポジションを放棄して大きく振りかぶった私は、身体中のありったけのバネというバネを全力で使い「うおーーーっ!」とバックネット裏のおっさんめがけて渾身のストレートを投げ込んだ。
「ガッシャーン!!」
バックネットがきしんだ。
さすがに予想していなかったのか、おっさんは自転車から転がり落ちそうになっている。
ランナーは走っていたが、私は肩で息をしながらおっさんをにらみ続ける。
ベンチは何も言わない。監督もチームメイトも静まり返っている。
「おいっ田中!」
むくっと頭をもたげておっさんが声を出した。
味方ベンチが相手ベンチがザワッとする。
「その球や! ちゃんとほれるがな」
おっさんはそう言って自転車をこいで帰って行ったのだ。
そのあとのことは一切覚えていない。
試合の結果がどうだったか、監督に何か言われたのか、全く記憶にない。
まさかおっさんは私に全力投球を教えるために毎回計算してヤジっていたわけではないとは思うが、この日を境に私の球は速くなった。
全力で投げる途中でバテるのだが、それよりもキャッチミットにズドン!と力いっぱい投げ込む感触がたまらなく気持ちよくなってしまったのだ。
私が結婚して十年ほどたったころである。
実家に子どもを連れて帰ったときだった。
フラフラと赤ら顔で自転車をこいでいるおっさんに出くわしたのだ。
おっさんまだ生きていたのか!と思ったとたん、急にヤジりたくなった。
「こんにちは!」
「おーっ!」
ヤジではなく短い挨拶になった。
あの日の太陽と土の匂いがした。