「運も実力のうち」とよく言う。
実力があっても運の巡り合わせで結果や人生が変わることがある。
私はこの不思議な力を人生の中で何度となく体験してきた。

春の選抜が始まると思い出す出来事がある。

今から遡ること34年前。
明確に「運という巡り合わせ」を感じたことがあった。

昭和57年8月。私は立命館高校の硬式野球部で2年生の夏が終わり、選抜につながる秋の1次リーグ戦を戦っていた。
6校の総当たりで行われる1次リーグ戦で上位2校が2次トーナメント戦に進出できる。
普通は全勝か4勝1敗のラインで2次戦に進む。

私たちの学年は1学年上の先輩が少なかったこともあり、バッテリー以外7人が1年生の秋からレギュラーになっていた。
「秋は強くなる」と言われてその気になり選抜を目指して練習を重ね1年がたっていた。
しかし、立命館高校は4試合を終えて2勝2敗。
半ばあきらめムードの私たち部員は、北清水監督の「やる気がないなら明日は休みにする」という言葉を真に受けて、あろうことかレギュラー全員でプールに行って遊んでいた。
当の監督は一人グラウンドに立ち私たちが来るのを待っておられた・・・引退後何回も死ぬほど愚痴を言われ続けた・・・のだ。

ほぼ絶望的な成績であったが、どうもこのプールが良かった。
その後この1次リーグのブロックが星を潰しあう大混戦となり3勝2敗で2位決定戦を行うことになったのだ。
プールでリフレッシュした立命館高校は2位決定戦を制し2次戦へと進んだ。

2次戦では準々決勝まで打ちまくって勝った。
2次戦で私も打ちまくった。それまで6番を打っていたのだが、甲子園がちらつきだすとクリンナップが打ちたくなって必死になって素振りをした。
準決勝は京都西高校(現在の外大西)。
京都西は急成長の強豪チームであった。
1点差で負けていた最終回、先頭打者はこの日から3番に上がった私。
この日も3打数3安打と当たっていた。
この日4本目のヒットとなる左中間へのツーベースヒットでノーアウト2塁。
追いつけると思った。
しかし、4番のピッチャーライナーに飛び出した私はセカンドに帰れずダブルプレー。そのまま敗れた。
ピッチャーライナーで飛び出したことなどなかったが、京都西のエース梅井は左投手。
右投手には捕れない角度で飛んできた打球だが左投手にはグラブが出せる範囲だった。やってしまった・・・

前年ならここで終わり。
だが、この年は選抜55回記念大会ということもあり近畿の出場枠が増えていた。
近畿から7校が選抜され、それに伴い近畿大会には前年は京都大会で優勝・準優勝チーム2校が進むところ3位校まで進むことができたのだ。

洛星高校との3位決定戦。
洛星とは戦いにくい。常に接戦になるのだ。
「頭で負けている上に野球でも負けたら俺らには何も残らん」と思ってしまうから妙に緊張するのだ。

案の定8回1点差で負けていた。
それでもなんとか攻めたてて2アウト満塁。私はセカンドランナーだった。
打者は5番。フルカウントからのラストボールは真ん中低めのストライク。低めギリギリだがストライクだ。わっ見送った。
「終わった・・・」と思った。
球審は・・・「ボール!」のコール。ボール?
「ほんまかいな!」
押し出しで同点。
がっくりきた洛星のエースは、6番打者の初球にワイルドピッチ。
3塁ランナーの私は勝ち越しのホームを踏みそのまま3位決定戦を制し近畿大会出場を手にしたのだ。

40年会という昭和40年生まれの高校野球の会があるのだが、洛星のOBと顔を合わせると「あれはストライクや」といまだに言う。
真正面から見ていたのは私。あれはストライクだった。
運命を左右する判定をした球審は、北清水監督の後輩であった。
「わかってるやろな」と試合前に監督が球審に言っていたが、えらい場面で微妙な判定をしなければいけなくなったこの方・・・夜寝られたのだろうか。

妙な巡り合わせはまだ続く。

近畿大会1回戦は奈良1位校の智弁学園。
その時すでに立命館高校以外の京都代表は敗退していた。
京都1位校の京都西高校は大阪2位校の泉州高校に敗れ、京都2位校の山城高校は大阪1位校の上之宮高校のエース松島にノーヒットノーランをくらって敗れていた。

智弁学園に勝てば甲子園が現実味を帯びてくる。
しかし、強打の智弁学園相手に私たちは祈るしか手がなかった。
事前に奈良まで偵察に行ったコーチは見事なまでにうなだれて帰ってきていた。打撃の実力が違い過ぎた。
ボコボコにいかれる・・・

祈りが通じたのかどうか知らないが、試合開始時間30分前になっても智弁学園のバスが球場に到着しない。
高速道路の渋滞でバスが動かないらしい。
不戦勝か?と思ったがバスは到着した。
試合開始20分前であった。
ただ、智弁ナインはアップ無しで試合に臨まなければならなかった。

8回まで4-0で勝っていた。
それもノーヒットノーランに抑えている。
夢やろ!と思ったが夢だった。
最終回、ノーヒットノーランどころか、やっと体が動き出した智弁学園にボコボコに打たれ3点を奪われて1点差。
その上なおもワンアウト1塁3塁。
あかん!あっという間に同点、ほんでサヨナラ負けや!とフィールド、ベンチ、応援席の全員が思っていた。

ここで智弁学園は何を思ったか打者と1塁ランナーとの間でエンドランをかけてきた。
エグイ当たりのライナーがピッチャー山口の真横をかすめる。
センター前~!オーマイガー・・・あれ?セカンドベース上にショート中村がいる。
盗塁だと思いセカンドベースに駆け寄っていたのだ。
中村がライナーを捕って2アウト、1塁ランナーは走っているので戻れない。
ファーストの私にふわっとした送球が届き3アウト。
勝った・・・!
1時間と少しのハンデをもらったようなものだった。
しっかりアップをされていたら恐ろしい点差になっていたかもしれない。

選抜最低ラインのベスト8に入ったが選ばれるのは7校。
ここまで来ると何が何でも甲子園に行きたい!

祈りが通じたのかどうか知らないが、和歌山1位校の星林高校との準々決勝は阪神甲子園球場で行われた。
この大会は兵庫県が主催であった。
もうこうなれば祈ったもん勝ちだ。
いやいや、甲子園は甲子園でも選抜大会に行きたいんや!と祈り直す。

わけのわからない強運に自信を持ち始めた立命館高校ナインは、準々決勝で星林高校に5-3で勝ち甲子園球場で甲子園出場を確定させた。
準決勝は大阪1位校の上之宮高校。
1回戦ノーヒットノーラン、2回戦1安打完封のエース松島から序盤に3点をもぎ取り松島をKOし3-2で勝った。
後に立命館大学の野球部に入ってきた上之宮高校の澤本に聞いたのだが、甲子園が確定していた上之宮高校は、準決勝当日の朝からの練習で監督からアホほどノックを浴びせられ全員死んでいたそうだ。
私たちは、松島に完全試合をされるんじゃないか、もしそうなれば甲子園も危ういかも・・・と心配で心配で、なんとか1本はヒットを打たせてください!と祈り倒していた。
京都大会で優勝していれば、近畿大会の1回戦で死んでいない上之宮高校と当たっていた。

決勝戦は大阪2位校の泉州高校に1-9で惨敗。
京都大会で準優勝していれば、近畿大会1回戦で泉州高校と当たっていた。

地方大会から近畿大会まで選抜の対象となる試合で4敗もした立命館高校は文句なしで選抜された。
地方大会から近畿大会まで立命館高校に喫した1敗以外全勝だった智弁学園は選抜されなかった。

晴れて甲子園に出場し、1回戦東東京代表の桜美林高校に1-2で敗れた。
私は3番ファーストで出場し3打数1安打1盗塁。

何か一つでも巡り合わせが違ったら、この結果になっていたかどうか定かではない。
私の人生を大きく揺さぶる運という巡り合わせを感じる出来事であった。

しかし、身近なところにも巡り合わせの妙というのはいくつも存在する。

現在のTKドラゴンズの子どもたちでもそうだし、指導者やスタッフや保護者もそうなのだ。
いろいろな地域から人が集まっているTKドラゴンズ。普通に生活していたら絶対に出会わないであろう子どもたち、大人たちが、同じチームで野球をしている。
チームの人数や学年の人数によっても巡り合わせは異なる。
昨年なら6年生5年生が多く4年生でAチームの試合に出られたのはわずか一人。
今年は数人の4年生にチャンスがある。
2年前に5年生の途中でTKドラゴンズに入り野球を始めた子どもが、中学のシニアリーグにスカウトされ今年の春から硬式野球をする。
TKドラゴンズに入ったことで巡り合わせが大きく変わってくる。
そういった目に見えない巡り合わせに翻弄されながらも人生は続いて行く。

会うべくして会っているのかどうかわからないが、良い出会いも悪い出会いも人生の巡り合わせなのだと私は思う。
良い出会いならそれを力にし、悪い出会いならそれを反省にし、現実に振り回されながらも生きていく。
なんとも不思議なことである。
そして、案外気楽なことなのかもしれない。