12月8日(土)御所グラウンドにおいて、第12回きぬかけ杯が行われました。
結果は、優勝・京都ルーキーズ、準優勝・TKドラゴンズ、第3位・アカスポとなりました。
3試合全て1点差の試合、全て4対3の同スコアという接戦でした。
京都ルーキーズさん、おめでとうございます。
第二試合
アカスポ 1 0 1 0 1 3
TKドラゴンズ 3 0 1 0 0x 4x
(勝投手 渡辺 3勝2敗、 本塁打 池本4号)
第三試合
TKドラゴンズ 1 1 0 1 0 0 3
京都ルーキーズ 1 0 1 1 1 x 4x
(敗投手 池本 4勝2敗)
TKドラゴンズ優秀選手
渡辺 晴喜 受賞理由・・・アカスポ戦完投勝利
石原 寛太 受賞理由・・・2試合でチーム唯一の2安打
京都ルーキーズ戦で勝たせてやれなかったのは本当に残念です。
TKドラゴンズ史上、最強のチームを率いて臨んだきぬかけ杯でした。
最強のチームを作ろうというよりは、次につながる選手を育成しようと取り組んだ1年でした。
普段なら詳しく解説するところですが、悔しすぎて詳しく振り返ることができません。
なので今回は、池本さん・立石さんの両マネージャーにコメントをもらいたいと思います。
それから1週間・・・
さすがにきぬかけ杯のコメントは荷が重いということで、やはり私が書かせていただくことになりました。
試合を振り返るとまだ悔しさが込み上げてきます。
なので6年生それぞれの思いでを振り返りたいと思います。
キャプテン 池本 京将
この1年間、投打の主軸として本当によくやってくれました。
池本に関しては2年間みっちりと私の野球観そのものを叩き込みました。スタッフやコーチ陣や他の誰よりも、私の野球を理解しているのは池本かもしれません。
4年生の後半に入団してきた時、すでに彼の身体能力の高さは際立っていました。
5年生の秋、登板回数や投球数も抑え気味にしていたんですが、筋力の強さに骨が付いて行かず肘を故障。この時は血の気が引きました。筋力の強さにまだ骨が耐えられないことを指導者として把握できていなかったことに責任を感じました。ただ、大きな故障にならず「投手生命に影響するものではない」と聞かされ心底ほっとしました。
池本にはこの2年間、孤独との戦いをさせてきました。投手としてマウンドに立ち続けるための強い精神力を植え付けるためでした。「フォアボールを出しても野手に謝るな」「野手がエラーをしたら怒れ」「信用できるのは自分だけだと思え」「友達は作れないと思え」・・・道徳観よりも投手としてプロとして大成する法則を指導してきました。その分、周りからの風当たりは強く、特に5年生の時には6年生から距離を置かれる存在となりました。負けず嫌いではありますが、正義感や責任感が強い分、彼の意に反し、つらい思いもさせてきました。
まだまだ発展の途中ですが、私は池本の将来を楽しみに見守っていきたいと思っています。メジャーリーガーとなった彼の雄姿をスタジアムで観たいものです。
副キャプテン 栄木 陽天
栄木は野球センスに恵まれた選手でした。グラブさばき、バッティングに関して非凡なものを持っています。
しかし、そのセンスの良さが彼の最大の敵でもあります。少しの努力で結果が出る選手は努力を怠りやすくもなります。栄木はその典型でした。この先、センスの良い選手が上のステージに上がり、センスが良いのが普通だと気付いたとき、彼はもっと成長することができると思います。
彼を優しい性格だと周りは言いますが、私は優しいというよりはおとなしい、きつい言い方をすると妥協しやすい性格だと感じていました。優しいということはとても素晴らしいことです。その性格を変える必要はありません。でも妥協はしてはなりません。何においても「こんなもんだ」と思ってしまったらそこで終わりです。
栄木については、特にこの1年間「なにくそ」「自分がやったる」と思ってもらえるような方向で指導をしていましたので、時に厳しく接することも多かったと思います。
ただ、「なにくそ」「俺がやる」と思ったときには良い結果を出してくれていました。
優しさと妥協は紙一重。人への優しさは自分への妥協につながることがあります。センスの良さを生かすためにも、彼には自分に対する厳しさを持ってほしいと願っています。そうすれば、彼の野球人生は大きく変わるはずなのです。その日を楽しみにしています。
熊谷 蒼介
昨年の秋、ド素人同然で入団してきた熊谷。野球に関して何も知らん、捕れない、打てない。ただ、体の大きさと肩の強さ、そして図太いのか繊細なのかよくわからない性格には魅力を感じました。
私が彼を捕手として育てようと決意したのは今年の春でした。熊谷の肩の強さとつかみどころのない性格に賭けたのです。すでに闘争心むき出しの選手に成長していた池本の球を受けきれるのは熊谷だけだろうと感じていました。それでも池本の仕草や苛立ちに恐怖を感じ委縮してしまう時期もありましたが、よく乗り越えてくれました。普通の選手では、もはや池本のリードはできない状況でしたので、本当によくやってくれました。
バッティングにしても当たれば飛ぶというところまで成長してくれました。
何より成長したのは野球知識でしょう。捕手なので、ノックでも私の一番近くにいて、一番叱られたのが彼でした。ただ、少しずつ野球を知ってくれるようになりました。一つも出来なかった野手への指示も、タッチプレーもキャッチングも、少しずつ少しずつ身に付けて行ってくれました。彼の努力に敬意を表したいと思います。
最後は信頼して熊谷を試合に出せるまでに成長してくれました。あのド素人が野手の要として指示を出す選手にまで成長するとは思っていませんでした。
この経験を、今後の彼の人生に生かしていってほしいと願っています。
石原 晶太
今年の初めに入団してきた時点で、ある程度出来上がっているという状態でした。ただ、ある程度出来上がっていたからこそ苦労しました。
それまでに身に付いた野球をはがしきって新たな野球を身に付けさせるのか、出来上がった土台を利用して進化させるのか非常に迷いました。やはり10ヶ月というのは短すぎます。晶太にしても寛太にしても、土台を利用して進化させる方法を選択しました。
本来はサードを守っていた晶太をファーストへコンバートしたのにはチーム事情がありました。すでに最終的にショートは三浦と決めていたので、野球知識の豊富な晶太にはファーストを守らせ、その時点では不安のあった捕手の指示をカバーするべく、ランナーの動きに反応できる選手をファーストに置いておきたかったというのが本音でした。その期待に彼は見事に応えてくれました。
晶太は打者としても走者としてもチームに必要な選手でした。超攻撃型のTKドラゴンズにあって、彼は早打ちせずじっくりボールを選ぶタイプでしたので出塁率が高く、ランナーとしても感がよく盗塁数も成功率も高く得点に繋がりました。
バッティングに関しては、最後まで肩の開きを修正することが出来なかったのが悔やまれるところです。時間をかけて修正していけば、中学になっても通用するバッティングが得られるはずです。このあとの取り組みは本人に任すしかありませんが、開かずにスイングする方法を編み出してほしいと願っています。
立石 雄大
昨年の秋に入団。とにかく声の大きさが際立つ選手でした。
バッティングやフィールディングの技術よりも声の評価が高いというのは、本人にしてみれば悩みの種だったと思います。周りのレギュラー選手よりもどう見ても劣ることを本人が一番自覚していたと思うのです。使われ続ける苦悩というものは存在します。まじめな故に悩むこともあったでしょう。
本来なら、代走として足のスペシャリストとしての起用が彼の良さを最大限に引き出すポジションだったと思います。他の選手が野球知識を身に付けて行くうちにそれなりの声が出るようになり、それとは逆に立石は、野球を知れば知るほど野球の怖さを感じ、出ていた声も出にくくなっていました。
私が終盤、立石をセカンドで起用し続けた理由は、内野に声の出る選手が欲しかったのと、持って生まれた星とでも言いましょうか、彼が持っている巡り合わせでした。
池本が投げるとセカンドがエラーする確率が途端に上がります。右打者が振り遅れてセカンドにひねくれた打球が飛びます。普通にプレーすれば捕れる当たりでも池本の重力に押しつぶされるようにエラーが出ます。しかし、不思議なことに立石が守ると簡単な打球しかセカンドに飛ばないのです。ダブルプレーの可能性がある打球も飛ばない、複雑なプレーも起こらない・・・特に公式戦では如実に現れます。立石は唯一公式戦でエラーなし。このデータを無視することはできませんでした。
しかし、この運を支えてきたのは立石の真面目な性格が大きく影響していると思っています。彼は自信を持って良いと思います。
石原 寛太
晶太と同じく、出来上がっている苦労がありました。
彼は本来ショート。フィールディングの良さは入団時点で際立っていました。彼は入団当時、ファーストへワンバウンド送球をしていましたが、私はノーバウンドでの送球を要求しました。本来強気な性格だと思うのですが、無難な野球を指導されたのかどうか知りませんが、こじんまりまとまっていた印象があります。
寛太は、守備的な守備から攻撃的な守備に変化を遂げてくれました。攻撃的な守備はエラーの確立も高まりますが、内野安打をアウトにする確立も増えます。しかし、彼の場合、エラーも増やさず内野安打を防ぐことを平気でやってくれていました。
寛太の守備で突出しているのは、瞬時に出る一歩目です。これは練習しても身に付くことではありません。一歩目を前に踏み出す勇気、一歩目を後ろに下げる勇気、勇気だけではなくその瞬発的な判断力というか本能。判断していては間に合わない一歩目が彼にはあります。
もう一つ突出していることがあります。ボールがグラブに入る瞬間、あるいは入った瞬間に寛太はグラブの位置を微調整しています。普通ではできないプレーです。
長年野球に携わり、また長年指導をしていますが、完璧な守備だと感じる選手はそうはいません。彼は本能でボールを捕球することができます。
彼を完璧と言わずして何を完璧だと言うのでしょうか。寛太は良い選手に育つと思います。これからはショートで良いと思います。
三浦 優心
昨年の秋に入団した当初は「バッティングは嫌いです」と顔に書いてありました。なぜか分かりませんが、普通バッティングは楽しいもの。どう見てもセンスはあるのにバッティングが苦手というのは不思議でした。
飛ばないと思っていたのか、飛ばすことに意味がない野球を指導されていたのか分かりませんが、とにかく彼には打球が飛ぶ感覚を覚えさせるところから始めました。
すぐに結果は出ました。もともとセンスは有るのでボールを捉えることに時間はかかりませんでした。
守備についてはもともとフィールディングは良く、すぐにショートのレギュラーを任せました。三浦はセンスの良さというよりは努力家という一面を持っている選手でもありました。ショートの守備に関しても決して器用ではないのですが、何回も練習をして習得していった印象が強いです。ダブルプレーのベースタッチやひざを柔らかく使ったサイドスローなど練習し始めの時は「不器用か」と思わせるつたないものでしたが、徐々に身に付けていってくれました。
終盤では声も良く出ていました。気が付けば、ショートとして司令塔の役割を十分に果たしてくれる選手に育っていました。性格も野球選手向きの向こうっ気の強さを持ち合わせ、野球知識も身に付け、マウンドの池本に声を掛けられる唯一の選手に成長していました。
体重を増やし筋力をつければ、十分この先通用する選手になると思います。楽しみにしています。
渡辺 晴喜
熊谷と同じく、ド素人同然で昨年入団してきました。
この1年で一番伸びた選手は渡辺です。昨年の終わりに、渡辺父から右打者か左打者かどちらがいいでしょう?という相談を受け「どっちでも一緒やろ」と言ったのがいけなかった、いや良かった。この親子に変な闘争心が芽生えたのです。親子とも空手をやっているんで闘争本能は凄いのですが、親子で反発心をかきたてるとこういうことになるんかい、と思い知らされることになりました。
年末年始休みをはさみ、今年の練習初めの時点ですでにスイングが全くの別人になっていました。これには正直驚きました。結局今年の最初の試合から全試合出場。最後には先発投手のローテーション入り、3番打者。親子の努力なしではあり得ない結果でした。
もともとの肩の強さを買い、夏前からは投手として育て始めました。最後に間に合うかどうかギリギリのタイミングでしたが、見事にきぬかけ杯で完投勝利を飾ってくれました。
投手としても魅力はありますが、私は渡辺については打者だと思います。決して器用ではないのですが、打球の強さは群を抜いています。投手としては、渡辺のような打球を打たれると心が折れます。それはすなわち強力な武器なのです。1年ではまだまだ指導しきれていません。これからもっと彼の打撃は伸びます。
井上 侑宇人
やはりド素人同然で昨年入団。この御所の近くに住むド素人トリオは本当に良く成長してくれました。
井上はどうひいき目に見ても使える選手ではありませんでした。彼を成長させたのは、渡辺と熊谷という存在が身近にあったからかもしれません。
代打の切り札。もう一歩でレギュラー。ここまでの成長を誰が予想したでしょうか。
井上はこの1年、自分の目標を常に変化させてきました。試合に出ること。試合でヒットを打つこと。レギュラーを取ること。最後のレギュラーは叶いませんでしたが、代打の切り札として絶大な信用を勝ち得ていました。彼の打率の高さは勝負強さそのもの。公式戦で結果を出せるところまであと一歩というところまで来ていました。
代打というのはチームにとって非常に重要な一手です。局面を大きく変える場合があります。私はその重大な役割を井上に託していました。
彼が打席に立つと試合の流れが変わりました。幾度となくチャンスを作ってくれました。「打ってくれ」と頼んで打ってくれる頼もしさ。彼は私の攻めの一手になくてはならない存在だったのです。
その勝負強さは心の強さでもあります。彼は心の強さを持っています。どう育てたらそうなるのか一度お母さんに教えてもらおうと思っています。非常に興味があります。
打ってこいと送り出し、打席に入った井上の表情は、本当に美しいと感じるものでした。
中村 俊哉
昨年の秋に入団。野球センスはあります。ただ、野球に対する情熱は少なかったのです。しかしこれは彼のせいではありません。
私は、中村俊哉という選手にもっと野球を愛してほしいと願っていました。そうすればもっと伸びるのに、と感じていました。お父さんにきついことを言ったこともありました。「自分からやりたいと思うまで放っておいてやれ」「わからんのに口出しするな」とまぁ普通なら切れますが、たいがいのことを言いました。
しかし、夏過ぎぐらいから少しですが変化がありました。表情に意志を感じるようになりました。欲も出てきたように思います。それと同時に私の指導にも少しずつ耳を傾けてくれるようになりました。
終盤は、なんとかしたい、試合に出たい、という気持ちが出てきていました。試合を決める場面で代打で送り出すということもありました。
彼については、やっと今からというところではありますが、腐らずよく頑張ったと思います。
中村にはこれだけは言っておきたいと思います。息子を思う親の気持ちというのは、特にそれが父親ならば、得てして受け入れがたいものですが、それだけ子どもを愛しているということ。毎回毎回グラウンドに送り迎え、練習を見続け、試合を見続け、掛けるなと言われた声も掛け、格好悪いと思われようがどう思われようが俊哉の応援をし続けた君のお父さんは、世界で一番俊哉のことを応援しているお父さんなのです。
私は、この1年間、この子たちと野球をできたことを感謝しています。
ありがとう。
来週は、卒団式です。
泣かないようにします。