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「会長のひとり言7」~先頭を走る苦しみが人を成長させる~

先日のきぬかけ杯でTKドラゴンズは優勝させていただいた。
この優勝は子どもたちにとって大きな勉強になっただろう。

メンバーひとりひとりが努力し悩み苦しんだ果てに全員でつかみ取った優勝であったと思う。
その努力や苦しみは選手によって違う。

ある選手にはより高い技術を磨くよう指示を出していた。
頭を使うことで今までの野球とは違う一面が見えたであろう。
別の選手には自分より高い技術を持つ選手に一歩でも近づけるプレーを要求した。
思うように動かない体に悩み苦しんだであろう。
また別の数名の選手には壮絶なポジション争いをさせた。
打つか守るかどちらかで結果を出さなければフィールドに立てない。
味わったことのない不安と闘争心が交差していたであろう。

私は、機会があれば常に言っていることがある。

努力やその苦しみを知らなければ優れている人間の何が優れているのかが理解できない。
努力やその苦しみを知らない人間は、自分より優れている人間を見たとき「生まれつきできるのだ」という言い訳をする。
努力やその苦しみを知っている人間は、自分より優れている人間を見たとき「すごい努力をしたんだなぁ」と相手を尊敬する。

そして、
努力や苦しみを知らなければ失敗した時にその理由が理解できない。
努力やその苦しみを知らない人間は、失敗した時に屁理屈をこねて言い訳をする。
努力やその苦しみを知っている人間は、失敗した時は自分の努力が足らなかったことを分かっている。

簡単に言うと、
勉強の成績が良い者は、人より多く勉強をしている。
スポーツの中心選手は、人より多く練習をしている。
友達の多い者は、人より深く他人の心を気遣っている。
そして、その者たちは努力の上に全てが成り立っていることを知っているのだ。

この例えが分かりやすいかどうかは別として・・・

京都は駅伝が盛んである。
私もたまに沿道に応援にでかけるのだ。
いつも思うことだが、先頭集団は「はっ!はっ!」「うっ!うっ!」と限界ぎりぎりの声を出し必死の形相で走っているのに対して、後方の集団はあまり声も出さず必死の形相とは程遠い顔つきで走っている。
先頭集団は限界ぎりぎりで走り続けられる努力をしてきたんだろう。
後方集団は限界ぎりぎりで走り続けたらおそらく倒れるのだろう。

先頭を走る苦しみが人を成長させるのだろうと私は沿道で応援しながら思うのである。

努力やその苦しみを知ったときから、優れた人を尊敬し言い訳をしない人間になる。

「人を尊敬できる人間になれ」とよく言うが、多分、自分が尊敬されるような人間でなければ人を尊敬できないであろう。
言い訳もまた同じである。

一度や二度のことで努力やその苦しみを知るわけではない。
何度も何度もそういう経験を積み重ねて人は成長して行く。
私は50歳だが、まだまだ努力は足りないと感じている。
もっとできると思っているのだ。野球の指導も仕事もなにもかも・・・

最も大切なことは、「夢や希望は努力すれば近づいてくる」ということを知っているかいないかで人生は大きく変わるということなのだ。
言い訳をしてあきらめた瞬間にその夢は実現不可能な妄想となり、自分の努力不足を自覚して努力を続けることでその夢は実現可能な現実となる。

TKドラゴンズの子どもたちがこのチームで少しでも努力やその苦しみを体験し、次の努力に立ち向かっていく若者へと成長してくれればこんなに嬉しいことはない。

余談ではあるが・・・・・

これを読ませたい人間がいるので言っておく。

言い訳をする大人は多い。
周りはその人間の努力不足だと分かっているのに、本人は頑張って言い訳をする。
これほど滑稽な姿はない。
好き嫌いや向き不向きと努力するしないは別である。
向いてないからできません・・・・・こいつこんなこと言って、向いているのにできなければどういう言い訳をするのだろう・・・

最後に、
主張とは、ことが始まる前に自分の意見を言いそれに向かって全責任を背負って努力することを言う。
言い訳とは、ことが終わった後に屁理屈をこねて自分を正当化する間抜けなことを言う。
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