叱らないから上達する!ひとり一人が輝く少年野球チーム!

空白の時間

土曜日は雨。

TKの練習は休みでした。

天一杯も終わったんで、ちょうどいいタイミングの休みです。

二週続けて土曜日に雨が降ると、何かしらやることを考えますが・・・

普通のチームなら、土曜日が雨でも日曜日に練習をするんで土日とも休みというのはめったにないでしょうねぇ。

 

 

それぞれの家庭で、土日の過ごし方は様々だと思います。

思いついて小旅行に出かけたり、のんびり過ごしたり、仕事だったり、バッティングセンターに行ったり・・・

 

いつかのブログにも書いたと思うんですが、私は、子どもの頃は予定がびっしり詰まっている日常よりも、予定のない空白の時間が必要だと思っているんです。

大人だと、空白の時間が二日間もあると持て余してしまうかもしれませんが。

 

TKの野球方針もそうですが、子どもたちが自分で考える野球を目指しています。

「自分で考える野球」というのは、意外と難しいものです。

ある程度野球を知らなければ考えられませんし、興味が無ければ考えたいとは思いませんし、向上心が湧かなければ考える意味がありません。そして、何より考える訓練をしていないと「考える」ということ自体が得体のしれないもののように感じてしまうものです。

 

私は、何もない空白の時間が子どもの考える力を育てるような気がしています。

空白の時間と言っても「無」ではないのです。数時間も何も思わずボーっとしているとしたら、ゲームをしている時間かもしれませんが。

ゲームなしで「ボー」っとするのは大変です。なので、何かして時間を潰すことを子どもは考えます。これが大事なのです。

 

その辺にあるもので、なんとか楽しく時間を潰せることを考えます。子どもにとっては死ぬほど暇な時間を楽しく過ごせるか過ごせないかが掛かっていますので、必死で探し、考えます。結果的に、考え出したその遊びが親から叱られることになるかもしれませんし、叱られないかもしれません。そんなことより、まず楽しく時間を潰すことの方が、子どもにとっては先決なのです。

 

私も小学生の頃はいろいろ遊びを考えたものです。

中でも一番ひどかった思い出を少しお話ししましょう(笑)

私が小学校3年生頃だったと思いますが、すごく楽しくてすごく叱られた思い出があります。

 

私は御所の近くに住んでいました。

多分放課後だったんでしょう、友達数人で御所に沿って烏丸通を歩いてたんです。誰が持っていたのか、煙だけが出る「煙幕」と呼ばれる花火が数個あったのです。もちろんマッチもあったんです。

さて、何か面白いことはないかなと・・・・

 

はい。みなさんの予想通りです。

火を点けて煙の出た「煙幕」を御所の植え込みに隠れながら烏丸通に「ぽーい」と・・・

よく事故になりませんでしたよほんとに・・・

ただ、警官がすぐに駆けつけて「ピピー!」と笛を鳴らされ「コラ~!」・・・

「言わへんから小学校名と名前を教えなさい」と言われ「言わへんなら」という条件で、小学校名と名前を言い、解放してもらいまして・・・でもなぜか次の日、朝から校長室に数名が呼ばれて校長先生直々にしこたま怒られるという、ただ事ではない経験をいたしました。クラスの皆も、「校長室はマズイやろ」という雰囲気で、誰も触れようとせず、なんとも妙な体験でした。ただ、親には一切の連絡は入ってないんです。友達全員です。

昭和40年代っていうのは、なんとものんびりした時代だったんですねぇ・・・

 

絶対にしてはいけないことなのですが、自分たちで考えて、しかもしびれるほど面白くて、最後にぐしゃぐしゃに怒られ、ただ、親には知られずほっとするという、ワクワク感と大人のしたたかさと温情を感じた出来事でした。

まぁ、その頃の親は、先生より怖かったですからねぇ????先生もどう考えて親に連絡しなかったのかは今となっては分かりませんが・・・

 

この後「楽しいことを考える」条件に「怒られないこと」が加わったことは言うまでもありません。

 

この話が良い例えだとは思いませんが、いろんなことが加算されて「考える」ということになるんだと思うのです。

どんな方向でも、いくら自分勝手なことでも「考える」ことは自由ですし「考える」ことで脳の回路が繋がったり複雑になったりするんだろうと、私、漠然と思うわけです。

 

野球でも「ああせぇ、こうせぇ」となんでもかんでも答えを言ってしまうとダメなんだろうと思うわけです。

「こうするのには、こういう理由がある」という指導をして「では、こういう場合はどうすればいいだろう」と考えてくれるようになってほしい、と願うのです。